今流行っている自立分散型組織

シュタイナーは、100年前からやっていて

一般社団法人なので理事はいるけど

運営自体は、ヒエラルキーがなく
学校には校長先生がいない

一般的に言うと
「サービスを受ける側」の保護者
「サービスを提供する側」の教師
それ以外の学校運営したい人も
一緒に運営していて

やりたい人がチームを作り
各チームが有機的に繋がり
協力し合っている

決議は、運営している全員の合議

いつかこんな組織をつくりたいと思っていた

いつの間にかその中にいるじゃないか

でも、そこで、波風が立っているのが
「私自身の内面」

学校を創りたいと、思って決めたらやり遂げるタイプ

たまたま学校を作る流れに出会えたからできたのだけど

できないことも
苦手なことも
頑張ってやって

(素地があったので全くゼロでもなかったけど)
ゼロからイチにする過程は、やりがいもあって

「私が」やってる感があった

入学者も増えて、運営の組織も大きくなって
自分が全部できないのに

小さい組織の時と同じように
自分の影響力を効かせたかった

自我が強く
自分の信念や考えがはっきりしているので

つい口や手を出したくなって

そして、「尚子さん、すごい」って言われたいんだ

そんな自分のエゴにたくさん出会った

そして、色々と手放せないでいた

開校後、体調不良になり
体が教えてくれた

尊敬する教師の先輩や夫が教えてくれた

「できることをできるだけ」

つい、頑張ればやってしまえることが多く(クオリティは別として)

自分の存在価値は、アウトプットの成果物
と、ニアリーイコール

本当は得意じゃない、本当はやりたくないってことも
何が得意じゃなくて、何が本当はやりたくないのかの感覚が麻痺

私が頑張って多くを抱えて、成果物の質や量が下がるのは痛手
全員運営なのに、意識が、能動的と受動的に分離する
苦しいことも分かち合い、それぞれの楽しさを持ち合わせたパワーは
一人の力よりすごいのは目に見えて実感する

「手放す」
それは、どんな感情かと言えば「淋しい」

ヒエラルキーの感覚にどっぷり浸かっていたのは
私かもしれない

これまでは、組織の中で
小さくとも、地位や権力がある立場が多く
先頭で旗を振り続けてきた

そうじゃない立場で
私は一員としていれるだろうか

エゴに振り回されず
理屈なく自分の純粋に好きなことを
自分にさせてあげられるだろうか

仲間に委ねられるだろうか

ここ数ヶ月、変化したことは
エゴがあることに気づいて、拗ねずに(笑)
伝えたいことは伝えていっている

日々ちょっとしたことに
心満たされる瞬間があること

そして、やっぱり
自分自身の内面を深掘るのは趣味で
自分なりの気づきがあった時、心ときめいていて

「こころ」の話しができる仲間と仕事するのはすごく楽しくて

子どもたち一人ひとりの体や内面の動きを感じて、関わるのも好きだ

ただ、それだけなんだ