いま、私は、人と深く関わるほど、胎児期、出産時の母と子の命の関わりや幼少期のからだと心の育みに行き着いて、沖縄にシュタイナーの学校設立へと動いています。

5歳のときに、生後2ヶ月の弟を亡くしました。朝起きたら家が騒然としていて、父と母が血相を変えていて、私の目の前で弟が血を吐いていました。

なんで人はみんな死んでいくのに、なんでこの世にうまれるんだろう?

なんのために、この世にうまれてくるんだろう?

5歳のときからの問いでした。

弟が亡くなってから、母は暗く、家族も暗闇に包まれました。第一子としてそんな母を一生懸命明るくさせようと、甘えたいけど甘えられず、小さい私は小さい私の精一杯を頑張ってきました。

せっかく与えられた生命を、精一杯生きたいと思いながら、大人になっていくにつれ、大人たちが自分の人生をイキイキと生きていないように感じました。

満員電車で疲れ果ててため息をついている大人たちを見ながら、人はみんな唯一無二の存在で、何かしら使命を持って産まれてきていると信じていた私は、人生の多くを過ごす「働く場所」をイキイキと働く場を創りたいと企業の人事に携わってきました。

経済社会の中で、また考え方や価値観の違いの中で、私もまた自分を殺して組織に生きていく中で、バーンアウトしました。

自分自身の心、自分が多くの人と深く関わり、また、自分自身の出産や胎児期、出産時の母と子の命の関わりや幼少期のからだと心の育みに行き着いて、沖縄でシュタイナー学校を設立しようとしています。