こんにちは!

伊波尚子です。組織開発/人事コンサルタントです。また、一般社団法人子どもと先生を元氣にする会理事/沖縄シュタイナー学園教師をおこなっています。

私がなぜこのよな活動をおこなっているのかお話させてください。

幼少期

幼少期

【5歳の頃、生後2ヶ月の弟が目の前で血を吐きながら死んでいった。】

幼い私には衝撃的な出来事でした。
「神様は、なんてひどいんだろう!!」と怒りながら泣きました。
私だってショックを受けて悲しいのに、深い悲しみに暮れる母に、甘えることはできませんでした。

私は、子どもらしい感情を押し込め、
「人は、私は、一体どこからきて、どこへいくのか。」
「どうせ死ぬのに、何のために生まれてきたのか?」
と、考えるようになりました。

同時に、人生で何かの残さないと生きる価値がないという焦りをいつも抱えていました。
長女として親を悲しませず、親から価値があると認められたくて、頑張っていい子ちゃんをしていました。

親をはじめ、周りの大人たちに対して、
「辛そうに生きてる」ように感じ、
「せっかくある命なのに…。どうして?」と思いながら、

自分は、「明日死んでも悔いのない人生を生きよう」と決意しました。

【経営者である父】

父は、次男で、家族で経営する鉄工所の専務でした。

平日は朝から晩まで。仕事で会えない日もありましたが、休日には、
真っ赤なスポーツカーでドライブ。別荘を拠点に観光。父が操縦する船で、釣りや海水浴、花火大会…
学校の友達とはちょっと違う、色々な体験へ連れて行ってくれました。

そんな父は、「自分のものは自分のもの、家族のものも自分のもの」ジャイアンのような亭主関白で、
世間の常識に囚われず、自分の純粋な好きなことをやる性格でした。

常識的な、自身の兄弟や妻(私の母)からは、「変わり者」扱いをされていて、関係は上手くいってないようでした。
私は、人と違うことを少年のように無邪気にやっていく父のことが好きでした。

原家族や私たちとの家族、会社でも、父は、とても窮屈そうにみえました。
何か、本当の気持ちを抑えて、悶々としているように感じました。
しかし、家で、父が、仕事の話や父自身の話しをすることは、一切ありませんでした。

たまに、酔っ払って赤い顔で帰ってきては、私に「大好きだよ」と頬ずりして抱きしめてくれました。
ちょっと伸びたヒゲがちょっぴり痛かったけど、その感覚と共に、ただただ愛されていた記憶があります。
父のそばにいると、安心して私を出せて、ただただ甘えることができました。

私が大学生の頃、両親は離婚しました。

父が、他の女性と恋愛して家を出て行って、そこでも家を立てて、新しく自分の会社をつくり、母と私たちの住む家を担保に工場を建てました。
離婚への過程で、
母と私たちの住む家のドアを壊し家具を持って行こうとしたり、母を殴ったり、学校へ進入して妹を連れ去ろううとしたようです。
そして、離婚後、決定した慰謝料と養育費を払わなかったようです。
工場を建てた後、病気になり、借金だけが残り、実家は競売にかけられ失いました。

父の兄弟たちも、母も、父を「非道」だと非難しました。

でも、私は、無条件で私を愛してくれた父の奥に、とてもピュアなものを感じていて、
不器用で、社会に適合できなくて、上手く言葉で伝えられない…
そんな父には父の、そうせざるを得なかった理由があるんだと思いました。

けれど、離婚をして離れた後、病気になって早くに亡くなり、本心を聴くことは叶いませんでした。
そして、もう父はいません。

「お父さんの本心を聴きたかった。」
私の純粋な願いです。

経営者が、本心を言える場をつくりたい。
経営者が、安心して本来の自分が出せ、幸せに経営ができるようサポートしたい。

これらは、父への想いが原点です。
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学生時代

学生時代

せっかく生まれてきた「いのち」もっとイキイキと、自発的に自分を生きる人を増やしたい。

そんな想いが湧いてきた大学生の頃、
「人間は、魂とからだでできている。
魂を磨くのは人間教育。からだを作るのは食べ物。
うちは、その両方のやる会社だ。」

そう語る社長に出会い共鳴し、飲食チェーン店に入社しました。

会社員時代

会社員時代

まずは、自分の手で、イキイキと自発的に働く場を実現したいと、
新入社員歓迎会で、社長を酔っ払わせて「明日から店長をやらせて」
とお願いし、3ヶ月後に新店の店長に就任しました。

スタッフみんなで、
「何のためにここで働くか?」「私たちのお店を通じて何を提供したいのか?」
をとことん話し、
「動機がお客さんのためはトライし、保身や自分たち都合は却下。」
「短所をなおすのではなく、長所を活かす」と言うシンプルな方針で、
半年で、店長育成する模範店になりました。スタッフはみんな自発的にイキイキと働いていました。

翌年の入社2年目には、全店約40店舗中売上トップ、年間3億5千万円・スタッフ最大60名の店長担いましたが、
一緒に働く仲間に、過去の成功体験をそのまま押し付けて、誰もついてこない挫折を経験しました。

ミーティングに誰も来なかったり、
死んでやると包丁を持ち帰ったスタッフがいたり、売上金を盗まれたり、

ワンマンで、誰とも信頼関係を結べず、
毎日、店の扉を開けるのが辛く、自己啓発本を読んでは泣く日々でした。
前の店で強く信頼を育んだはずのスタッフに、今の店長にはついていけないと言われショックを受けました。

能力もスキルも低く、誰とも信頼関係を結べなかった私は、
「誰よりも早く出社し、掃除をして、作り笑いでもいいからどんな時も笑顔でいる。」
ことから始め、3ヶ月続けた頃に、少しずつスタッフとの関係が変わっていったのです。

その間、会社は上場し、その5ヶ月後に創業者の社長が突然44歳の若さで亡くなり、
カリスマを失った会社は社内分裂し、年間50店舗の出店や子会社をM&A
そんな中、人材開発とカスタマーセンターの責任者、後に子会社の取締役を担わせてもらいました。

急成長する混沌の中で、20代の私は、自分自身の在り方もぶれ、スキルも能力も足りず、
どんな感情も、どんな事象も、「自分が足りないから悪いんだ」と言うゴミ箱に入れ蓋をして、
自分の辛い、悲しい感情もなかったことにして、
ただただ必死に「働く」をしていました。

自分自身が、イキイキとできなくなり、
うつのようになって、会社を去っていきました。
「私は何も成しえなかった。」という想いが今でも残っています。

結婚、沖縄移住

結婚、沖縄移住

人事はやめた。

結婚を機に沖縄へ移住し、「起業コンサルタント」として起業しました。
「起業」は、様々な個々の自己表現が叶う手段だと思ったからです。
それなりに上手くいっていました。

しかし、自分と向き合っていく中で、

心の奥底で、
本当は、「お父さんみたいな経営者をサポートしたい。」
「一人ひとりが、その個性を発揮して、イキイキと働ける場を作りたい」
という想いに気づきました。

企業からのオファーをいただいたことをきっかけに、
2018年、人事コンサルティング事業をスタートさせました。
また、中小企業庁の経営アドバイザー、経営者がゲストのラジオ番組でパーソナリティーを務め、数多くの経営者と出会ってきました。

そこにはいつも、社長自身が、自分の人生や社長業に生きづらさを感じ、誰にも相談できない悩みがありました。
心の奥に耳を傾け、ピュアな本心に触れました。

これまでの人事人生で行き着いた私なりの答えがあります。
・個々が安心して自分を表現できる場づくりで、結果が出るということ
・安心して表現できる場の醸成には、社長の心の在り方が大きく影響すること
・個々の自分肯定感を育むことで、他者を受容し信頼し合えるチームを育めるということ

正解のない変化の時代に、自分の芯を持ちながら他を受け入れ発展していく、そんなしなやかな組織がより良い未来を創っていけると実感しています。

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その後

その後

学校創り。2022年沖縄シュタイナー学園開校。

人事をやってきて、現象の元を突き詰めると、
社長も取締役も、社員もアルバイトも、役職に関わらず、
1人ひとりの幼少期の心の育みに行き着きました。

今の、人間の本質ではない、教育や社会システムなどによって、幼少期に、条件付きの恐れや不安、自己否定感が育まれ、
それが原因で、自分と人を信頼できず人を攻撃したり、他人軸で自分の力を発揮できないというような現象が起こっていると気づきました。

幼少期は、人生の土台である自分の在り方(Being)をつくる時期で、「無条件の安心」「自己肯定感」を育むことが特に大切だと思います。
娘の不登校をきっかけに、人間本来の在り方を育む「学校」を創ろうと決めました。

・どんな環境においても、自ら感じ、考え、自らの意志で行動していく力。
・変化に対して「不安や恐怖」ではなく、変化にワクワクし「希望やよろこび」を感じながら、自分の持って生まれたユニークな個性を、人と世界の中で調和させながら発揮して生きていく力。
・かけがえのない自分を愛して、自分を信頼し、他人や社会、そして世界を受容し、良きものへと創造していける力。

そんな、真の「自由への教育」を実現する場である「シュタイナー教育」の学校を仲間と共に創りました。

▶沖縄シュタイナー学園(小学部)2022年開校目指し始動します。県外の先生をお招きして授業と研修会を行う資金をクラウドファンディングします!ご支援よろしくお願いします!!

学園運営の決済権は全員参加の運営会にあり、ヒエラルキーのない自立分散型組織の運営を実践しています。
対話を重ねていくごとに、一人ひとりが学校を運営していく当事者意識が醸成されています。

これから

これから

子どもを身篭り育んだ時から、うっすらと沸き起こっていること。
それは、幼少期より前、「受精卵から自己(存在の)肯定感を育みたい。」

分度器でたった1°ずれると、放射状の先では、距離に差がつく様に、
この世に「産まれる」ところから、自分を愛せたらと願うのです。

私の母子手帳には、「女の子でちょっぴり残念。」と書いてあります。
胎児の頃から、「私は生まれてはいけない。」と感じた感覚があるのです。

自分の「性」を受容することは、自分の存在(いのち)そのものを肯定的に捉えることに繋がると思っています。

・心地よいパートナーシップと幸せなSEX
・人間の本能的で自然なお産

これらを育む活動をしていきます。

最後に

5歳の頃、0歳の弟が死んでいくのを目の当たりにした体験、そして、父への想いが私の原点です。

奇跡のようにこの世に生を受け、世界に一人として同じ人はいない。
一人ひとり豊かな個性を持って生まれてきた「いのち」。

既存の出産・教育・社会システムの中で、自分を抑えて生きていく姿ではなく、
かけがえのない自分を愛し、自分の「いのち」をキラキラを輝かせ、生き生きと生きる人たちで溢れた世界を創りたい。

そして、私自身、
せっかく生まれた自分の「いのち」を燃やして生ききりたい!と、今日死ぬかもしれない「いのち」を生きてるのです。

略歴

伊波尚子の略歴

伊波尚子(いはなおこ)
組織開発/人事コンサルタント・一般社団法人子どもと先生を元氣にする会理事。沖縄シュタイナー学園教師。

  1. 1978年、広島の町工場、鉄工所の第一子として生まれる

    ・島根大学総合理工学部大学院卒。
    ・大学在学中、両親が離婚。実家が父の借金で競売にかけられ失う。

  2. 2003年、創業者との劇的な出会いにより、新卒で飲食チェーンへ就職

    ・入社後上場し、数年で30店舗→120店舗、子会社数社の会社へ。
    ・20代で人材開発及びカスタマーセンター責任者兼子会社取締役を務める。

  3. 2021年、結婚を機に沖縄へ移住

    ・第一子出産後、起業コンサルタント、中小企業の人事コンサルタントとして独立。
    ・中小企業庁経営コーディネーター、社外取締役CHOなど歴任。

    ・経営者の人となりをインタビューするラジオ「沖縄ビジネスサテライト」パーソナリティ(現在休止中)
    ・2021年「一般社団法人子どもと元氣にする会」の立ち上げメンバー。
     2022年沖縄シュタイナー学園の設立。

    ・夫(プロゴルファー)、娘、息子と暮らす。