台風で家から出れない日々。

夫と遊んでいた子どもたちが喧嘩。

いつものことよ、と、私は家事をしていたけれど、収集がつかないので、お互い向き合わせて、何があったのかを聴いた。

お互い、そっちが悪いという。

けど、手や足で攻撃したのも、口で相手が傷つくことを言ったのも、何かやったには、わけがあるはず。

一つひとつ聴いてみると、息子は、どうして手や足が出たのかが「わからない」という。自分の気持ちを直視しない様子。

「どんな気持ちだったの?」→「嫌だった」

手や足が出るほど嫌だった、その時、「本当は、何を言いたかったの?」と聴くと、言葉がつまり、涙が出て、その場から去ろうとする。

「ここにいて」

「本当は、何を言いたかったの?」

涙を浮かべて、小さな声で「言えない」って。

待っていた。

「本当に言いたかったことを、言ってもいいんだよ。」って伝えたら、

涙を流した。

私も涙が流れた。

息子が、「ちょっと待って。」と言う。

1分くらいだろうか。私には、息子にもきっと長い時間待った。

「本当は、僕が先にパパと遊びたいって、パパのに伝えたかったんだよ!」って。

私の方を向いてたから、もう一度、「お父さんの目をみて」伝えるようにいい、伝えられた。

「よく伝えられね。」と抱きしめ合ったと、

「本当のことを伝えたら、何が起こるの?伝えなかったのは何?」と聴いたら、「どうせ、僕が言ったって。」と【諦め】だった。

夫(パパ)に、「拓真の本当の気持ちを聴いてどうだった?」と一緒に居て聴いてみたら、「本当の気持ちを言ってくれて嬉しかったよ」と言い、父と息子は抱き合った。

ここまでは、良いお母さん風。

でも、ここからが核心。

「本心を伝えられないのは、何があるんだろう?」と問いを巡らせた。

息子は、お姉ちゃんが先だからと、いつも姉に譲る。一見優しい良い子なんだけど、気になってた。学校では元気でお喋りがたくさん。

振り返れば、台風中、最低限の生活に加え、普段やれないことをと、忙しく動いていた私。気づけば、息子の、「ねえねえ、ママ、聴いて」の声かけに、「今、無理。」「今、忙しい。」と跳ね除けてた。

幼い彼にとって、台風の嵐の雰囲気や停電・暖水は、大人の私以上に、不安で怖かっただろうに。

彼が、彼の本当の気持ちに触れず、違うことに逃避させてたのは、私だったのかもしれないと思うと、いたたまれない気持ち以上に、激しい後悔の念が襲った。

彼は、「今」ここにいるボクの気持ちを聴いて欲しかったんだ。それを「言っちゃダメなんだ」と彼の心を萎縮させてたのは、私だったんだ。

彼は、最近わたしのほっぺにチューする。ニッコリ笑うとほっとしたように微笑む。「〇〇してくれてありがとう。」と言う。いい子のような気を使う行動がとても気になっていた。

自分が我慢してでも、お母さんに笑っていて欲しいんだ。

ごめんなさい。本当にごめんなさい。

心のなかで懺悔したが、

息子にも謝まった。

自分の人生に後悔の念はほとんどない。と言うか、忘れてしまう。

けれど、子どもを傷付けてしまったのではないかと感じることには、後悔の念が深く残る。

そんな時、自分を責めることで美化して済ませるよりも、彼を鏡に自分を見つめて、自分が自分を満たし笑顔にすることで、自分の愛を表に出してあげたい。

ありがとう。愛しているのよ。