子どもを通じて自分と向き合ったり気付いたりしてたけど、子どもを通じてだと何だか、お母さんの自分だから、若干でも、いやきっとそれ以上に「お母さん役割」の自分になってる。

ちゃんとしなきゃ。

ちゃんと栄養とれるような食事作って、早寝早起きさせるようにして、ちゃんと歯磨きさせて、ちゃんと綺麗な環境で過ごせるように掃除して、子どもにとって親としてイライラせず笑顔で話を聴く、とか。

最近起こった悲しい出来事に、お母さんとしても、尚子個人としても、悲しくて仕方がなかったときに、なんとなく、ふと、「わたし」の写真を撮ってほしいと思った。

悲しみの勢いに乗って勇気だして、以前一緒に仕事してたセソコさんにメッセージしてみて、今日の日が叶った。

彼の写真は、繊細でピュアで透き通っていて美しい、ってわたしは感じでて、いつもなぜかしら惹かれている。

ほんとは素っ裸を撮ってほしいと思うくらい、ありのままの今の私を写してほしいと思ったんだ。そんなの恥ずかしいけど。

セソコさんから三つの場所を提案もらって、こちらもなぜか惹かれてる浜比嘉島へ。

アマミチューとシルミチューの神さまのとこに行って、なんとも言われない雰囲気とパワーにうっときた。

カメラを向けられて、構える。顔を作ろうとしてる自分。セソコさんにすかさず言われる。

「今日はカメラの前で構えず、笑顔を作ろうとせず、カメラから目を逸らすのもなしで、カメラをまっすぐ見て自然体の尚子さんを撮れたらいいと思ってる」って。

つい、「セソコさん、さすがスパルターー(涙)笑」って言っちゃったよ。

彼の前では緊張する。いや、他の人と一緒にいてもいつも緊張してる。仕事とか、お母さんとか「役割」があれば、いつもできる自分をつくって身構えてる。「役割」をがんばって演じてる。

レンズから目を逸らさずに見たら、もうがんばって構えてガチガチで(笑)ど

「どんなときも、どんな人の前でも自然体で自分らしくいる」レンズは、その「すべてのとき、すべての人の前」のようで、レンズを向けられると、反射的に構えて、ごまかすために笑顔とか泣いたりとかしてしまう。私の人生そのもの。

今日は、そんなごまかしの笑顔も涙もナシってーー。見透かされてるわ。そして、トークも傾聴もなしだなんて、さすがセソコさん、スパルターー(泣)←2回目(笑)

浜比嘉島のゆったりとした空気感に助けられたり、でも、そんな穏やかで綺麗な自然に自分の委ね方がわからなくて、自然体ってどうしたらいいんだ??って頭で考え始め…´д` ;

裸足になって、砂浜を歩いて、風のある海辺の高台に立ったとき、カメラなんかにやられてたまるか!なんて怒ったり対立心が生まれたりしながら、

なんとなく、カメラの向こうに吸い込まれていくような感覚になって、ようやくセソコさんに、「いいんじゃない?」って言われて、わかってきた。

最後は、カメラは私自身で、あぁ、自分を愛するってことなのね、って。

自分を愛するってことだよな、ってヘナヘナと浜比嘉島の丘の上に座っちゃった。

浜比嘉島は、ただ言葉もいらないくらい美しくて、沈黙が照れたり緊張して喋ってる自分が勿体ない感じだったけど、まぁ、そんな自分も愛らしく、可愛いもんだ。ってことにしよう。

スマホもなしで写真撮らず。帰りによった、「ふうかきそば」http://www.urumajikan.com/portfolio_page/fukakisoba/

withセソコさん腕(笑)

記念撮影とかすればよかったか。一緒に写真撮ろー!とか、結構勇気いるんだな。緊張してたよ。可愛いな私(笑)

▼セソコマサユキさんホームページ→http://masayukisesoko.com/

▼沖縄の暮らしを楽しみ人生の豊かさを分かちあう、ちいさなメディア&コミュニティ、SQUA(スクア)

http://squa-okinawa.com/