今、私は「幸せ」だ。

しんどいことも多かった人生だったけど、「不幸」と思ったことはあまりない。辛くても苦しくても、「幸せ」だった。

けど、「幸せ」そうな顔をしちゃいけない。「幸せですか?」「元氣ですか?」「調子はどうですか?」と言われても、「まあまあ」とか「幸せだけど…○○があんまりなんですよねー。」と自分の人生にケチをつけて締めくくる。

それか、できなかったこと、恥ずかしかったこととかを付け加えて、最後は自虐ネタで笑いにして終わらせようとするクセがある。

今日、Facebookで、エステに通い初めてからの、「カラダのサイズの推移」を写真で撮って載せてみた。

とても勇気のいる行動だった。結構、良い数字で、細身で毎朝(じゃない時もあるけど)自宅でトレーニングしてるから、施術の反応もよく、数値見たら、「自慢してるんじゃない?」と思われないかってよぎった。

「これってどこから来るんだろう?」って自分に問いを立ててみたら、お風呂上がりに、ふと思い出した!それでブログを書きたくなって今。

私には、「妬まれる」というビリーフ(信じ込み)がある。

それには、近所のお兄ちゃんからいじめられた経験からきてた。

昔の田舎のご近所といえば、ご近所の数も少なく。家庭の事情もわかるくらい。

お隣さん(といっても百メートルくらい離れた)は、私より学年が上の小学生2人、中学生1人の3人兄弟。両親は離婚しかけでとうとう離婚したという過程の中で、私は小学生に上がり、一緒に毎朝登校することに。

家庭は荒れていたようで、こどもたちは、自分たちで家事をしないといけない環境にあり、食事がない日、洗濯してない日もあったようだ。

一方、一応何不自由なく育って、どちらかというと、おっとりしてマイペースで静かな子だった私は、いじめる対象にはちょうどよかったようだ。

あまり記憶にはないのだが、私の両親が気づいて、間に入って、それなりにおさまったようだった。

でも、鮮明に、「私は幸せだといじめられる。妬まれる。」という経験になっていたと、今日の「エステの投稿」をしてみて、思い出して、気づいた。

フグ屋に就職した時も、新入社員で入社した日の歓迎会で、社長を酔っ払わせて、「店長やらせてほしい」といって、本当に3ヶ月で店長やらせてもらったり。

二年目は関東で一番売り上げの高い店舗の店長させてもらったり、三年目は、120店舗の人材開発とカスタマーサービスを一人で任せてもらったり、+して、子会社の役員もやらせてもらったり。

任せてもらったけど、中身はボロボロで、思い出すと恥ずかしいくらい決して仕事は出来てなかった。自分も起業して歳を重ねた今、よくあんな小娘に歴代の社長たちは任せてくれたなあと感謝しかない。

そんな会社員生活で、先輩の女性から、「あなたはいいよね、贔屓されていて。」と言われ、後輩からは、「みんな、キヨさん(当時の呼ばれ方)みたいに強くないんです。」と言われた言葉が心に突き刺さっていた。

男性の先輩や後輩には大抵可愛がられる。部下や上司はいつも男性の方が仕事はやりやすかった。

女性にそう言われて、本心は、「じゃあ、お前も頑張れよ」「私だってお前のようにできないやつだけど、チャレンジして、寝る間も惜しんで努力してんだぞ。」だったが、口が避けても言えなかった。

「また妬まれて、嫌われる。」自分の努力でやってきたのに、なんで、そういう言われ方をされるのか意味がわからなかった。

だから、「努力してる」とか「できた」とか、「成果を公表」するのも勇気がいる。「自慢」と思われたら怖いから。でも、人一倍、「承認欲求」が強いこともわかってる。

多分、これまで我慢してきたからなのかな?

でも、これを書いてても、ふつふつと、「はい、私、めっちゃ幸せです。」「私、結果を出したいんで努力してますけど何か?」と公言して嫌われそうだと信じ込んでることをめっちゃ言いたいんだ笑

グジュグジュ悩んでいる人に、「え?何してんの?まずは行動変えないと何も変わらないよ?」とか、世の中や人のせいにしてる人に、「世の中になかったら自分で創ればいいし、できないんだったら文句言わず自分のできることで貢献してみろよ!」って言いたくなる。

けど、「傷つくだろうなー?私だったらそんなこと言わレたらすごく落ち込んで傷つくはず。」といって、自分が言われたくないから自己防衛のために、言いたいことを抑えて。

矢面に立つと、責められたくないから、いつもサポートや二番手に回っている気がして、自分にも嫌気がさしている。(二番手が得意なこともあるけど)

自分独自の創造力もあり、こんなワークショップしたい、こんな研修したい。なんてアイデアは出てくるのに。

もう、そんな自分を手放して、本性出して、言いたいこといって、自分ビジネスでトップをはりたい。