暗闇

わたし、沖縄で「シュタイナー教育」の学校を創ろうとしてるんだけど、

でも、別に、シュタイナー教育の「シュタイナー教」の信者じゃない。

1、シュタイナー教育とは?

私が触れてきて大切だと感じてるポイントは、

・単なる知識や技術の伝達や暗記じゃなくて、人間の本質からの教育で、人間の発達段階に応じた教育ってとこ。

・「自由な教育」(自分のやりたい放題→実は、低次の欲望に囚われて不自由。)じゃなく、「自由への教育」(自己受容や自己信頼の土台の上で、自分らしさを表現し、他者や世界へとの調和もできる)真に自由な人間を育むとこ。

自分の幼少期からの体験から、からだ→こころ→思考 の順番で土台から育んだほうが良いと感じてきたし、

人間の、生物的本能に沿った本質的な関わり、いつ、どのような働きかけが良いかを論理的裏付けもある。

まだまだ理解してないとこも多いんだけど、自分の体験から感覚的にも、理にかなった(宇宙の普遍的な法則に沿った)哲学を持った素晴らしい教育だと思ってる。

2、こだわるよりも大切な2つのポイント

でもさ、先日の、フリースクールの保護者会でも話題にでたんだけど、こだわることよりも大切なことがあると思う。

1、シュタイナー教とか○○教育を「宗教化して信仰しない。」

シュタイナー教育とか、他の○○教育とかこだわりがあればあるほど、「宗教化」しがち。

「シュタイナー教育では本物を使わなきゃいけないから、本物を使わないのはあり得ない。」とか、形骸化された形にばかりこだわって囚われて、シュタイナー教に走りがち。


・・・こういうのを「ステレオタイプ」(型を使って用いられたかのようにまったく同じもの。多くの人に浸透している先入観や思い込み、固定概念。)っていうらしい。

親である自分に自信なかったり、罪悪感があると、特に、このやり方をやっておけば大丈夫(○○教の言うとおりに)って子育て(を通じて自分の)安心感を得られる人もいるんじゃないかな?と思う。

そういう場合は、親である自分への「自己信頼」できてなかったり、「罪悪感」があったり。それに気づいて、癒して、手放すことが、必要じゃないかなと思う。…あ、ちょっと話ズレてこれ書くと長くなるから、次↓

2、自分たちがやっている教育はスペシャルで良い教育→他はNG他を排除する。

○○教育の素晴らしい!と酔心しちゃって、正しさを主張しちゃう。ひいては、○○教育以外はダメな教育とレッテルを貼って、他にNGを出して、○○教育をしていない人は排除しちゃうケース。

「周りとつながること」は、どの教育でも大切にしていることだと思うけど、これだと、あら不思議?素晴らしい教育してるはずなのに、「周りと分断」しちゃう。

私の学んでる感性論哲学の思風先生は、「真実の愛とは、考え方や価値観の違う人と共に生きる力であり、違いを許し、認めて、受け入れる力」とも言ってる。

親が、周りや世の中のダメなことばかりフォーカスして、子どもも、「世界はダメなところだ(良きものではない)」と思いがちで、世界や社会の否定→ダメなところを正していかなくては→じぶんのダメなとこへのフォーカスしてダメ出し→自己否定、に繋がっちゃう。

逆を言えば、自己否定とか禁止があるから、自分にNG出してる部分にフォーカスして、他人にも押し付けちゃってるパターンもあり得る。

…自分の人生はダメだったから、子どもには「正しい」「よき」教育を受けさせたいとか。

簡単な例だと、お菓子は太るから食べちゃダメ→お菓子食べ放題食べてる人にイライラする、とか。

根本解決には、「自分の全てにOKを出す」ことが出来たら、人も許して、認めることができてくる、と理想だけど、まずは、「○○教育の素晴らしさ」だけでなく、「他の教育の長所や素晴らしさ」にも目を向けて見たらどうかな?と私は思ったりする。

3、まとめ

教育に熱心で素晴らしいと思っている教育方法があって、その通りやろうとしてるのに、なぜか「しんどい」「苦しい」と思っているなら、一度、自分の「あり方」に目を向けてみてはどうかしら?と私は感じたりした。

結局は、親の自分のあり方。子どもを通じて、私もただいま絶賛成長中ー笑

娘と2人