7/21にゲシュタルト療法1DAYワークショップに参加した。
7/24-28まで横浜でシュタイナー教員養成講座があったので、前乗りして、7/20に東京入り。
息子は日中は保育園があるから沖縄で夫にみてもらうとして、娘は学校が夏休みだから、どーしょーかなー?って思ってたら、
富山の友達が、娘を預かるよーって。わざわざ娘を迎えに、東京まで迎えにきてくれるって。
甘えて、娘と私と一緒に飛行機で東京入りして、友達が迎えにきてくれた。
娘は、東京の電車のホームに着くなり、アナウンスのうるささに耳を押さえて、音や匂い、人の多さにいっぱいいっぱいで辛そう。
東京嫌だ…って、ついた夕方に熱を出してちゃった。
次の日すぐに富山へいくと道中で元気になったらしい。知恵熱的な類いだったみたい。
友達と娘と別れて、私はゲシュタルト療法ワークショップ。
言語の限界を感じてて、非言語領域のからだからのアプローチが好きで、学びたいと思った。
日本の第一人者の百武さんことモモちゃんのカウンセリングが見れる、and受けれるチャンスがあると聞いて、ますます楽しみに。
全体性、って考えも、いま私が取り組んでるシュタイナー教育とも考えが通じている。
カウンセリング受けたい人ーって聞かれて、マジ争奪戦だ!と思って気合入れて手を挙げたら、私1人しかあげてなくて、すぐにモモちゃんのカウンセリング受けれてラッキーー!
母親が題材で、何度も母親のこと見てきたから、もう、母親に対しての感情や葛藤は薄まってるはず〜とナメてたけど、
モモちゃんが、エピソードよりも、カウンセリング受けてる私の感情を、私が感じれるように、そっとアシストしてくれる、その透明感のある在り方がサイコーだった。
私の言う透明感って、カウンセラーの見立てや意図するとこではなく、カウンセリング受けてる人が、湧き出た感情を、ゆっくりと感じれるようにしてくれる在り方。
たいてい、誰かとのエピソードの話で思考で整理して自分の感情に行ききれなかったり、
その感情を感じ切る前に先の感情やストーリーに進んでしまうか、
いま、ここ、で出てきた感情に集中できないことがあった。
けど、母への怒りの前に、「話しかけるのが怖い。寂しくて悲しい。」って感情があって、それを十分感じる前に、その上の怒りで蓋をしてなかったことにしてたんだ。
つい、先の感情に先に進んで(どちらかと言えば先に進むのが良いことだと思ってた)見過ごしそうな感情を、ニュートラルに丁寧に感じでいける感じ。
自然と涙がでて、自然とでる感情をただ感じた。そんな体験だった。
カウンセラーが、寄り添いすぎないし、結論づけない。
セッションで、解決めいたことをしたら、そこで完結して、これ以上の広がりや深みがないんだとわかった。
「解決しない」って、カウンセリングする側もされる側も、何だか中途半端に終わった感じで、しっくりこなかったりしないかなー?って思ったけど、(実際、ワークしてもらって、何だかこれで終わり?って途中な感じだった)
カウンセリング受けた人は、カウンセリング後も続きが動いてるんだって、体感した。
私のワークが終わって、あと2人、ももちゃんのカウンセリングを受けてたんだけど、その間、人のカウンセリングを自分事のように感じて、カウンセリングの続きをしてるかのようだった。
いや〜、モモちゃんのカウンセリングは奥深い。また受けたいー!
沖縄に嫁に来て9年目、2児の母。沖縄でシュタイナー学校設立準備中。詳しくはこちら