今日は息子5歳の誕生日。

誕生日ケーキ

十ヶ月お腹に宿してる間も重い体で生活するだけでも息切れしてた毎日やどんな言葉で表現していいかわからないくらい痛い思いをして産んだ我が子が、あれからもう5年だ。いつまで経っても赤ちゃんだと感じてる面もあり、まだ5歳か〜と思ったり。

いつまでも子どもでいて側にいてほしい、と思う反面、成長して大きく羽ばたいてほしいと願う複雑な母親心。男の子に対しては特に。すでに親元から離れるのが早い気配がしていて、たまに寂しくなる。

息子の2歳の誕生日から、毎年書いているものがある。

それは「手紙」ラブレターだ。

誕生日の手紙

人間誰しもいつか死ぬ。母の私だって、いつ死ぬかもわからない。もしも突然この世からいなくなったとしても、せめて、子どもたちそれぞれの節目に、その時のラブレターを書き残しておこうと思ったからだ。

愛し愛されていた記憶、ただただ幸せを願う気持ち。日々言葉で伝えていたとしても、形として残していたかった。

そんなことをし始めたきっかけは、

・私が5歳のとき生後2ヶ月の弟が突然死で亡くなり
・私が16歳のとき同級生が友達がスポーツ事故で亡くなり
・私が26歳のとき会社の大好きな社長が44歳で事故で亡くなり

「人は突然死ぬ」という経験をしてきたからだ。

あれから、「次の瞬間にも死ぬかもしれないから、今を精一杯生きよう。」という欲求と同時に、自分が何もできなかった無力さを勝手に感じて、「(足りない自分が)次の瞬間死ぬかもしれないから、あれもこれもやらなきゃ」という脅迫概念で生きてきた。

ココ数年の心の学びの中で、「自分は存在するだけで価値があり、すでに幸せである。」と思えてきたんだけど、突然大好きな人がこの世からいなくなったときに、深い悲しみや寂しさ、無力さを支えるものがなくて、とても辛かった。

そんな私が子どもたちの節目に「手紙」ラブレターを書くことは、私がこの先早く死んでもしぶとく長生きしても、今この瞬間の気持ちや愛、そして、子どもたちへの応援メッセージも綴っている、親の勝手な子どもたちへのプレゼントだ。

「愛してるんだよ」って証拠を残す押し付けがましいプレゼントかもしれないけどw

私自身のためでもある。子どもの前の誕生日から今の誕生日まで、私は子どもをどんな風に想い、どんな行動をしてきて、どんな「ありがとう」や「ごめん」があるのか。「自分」対「一人の子ども」との関係を振り返る機会。手紙で書くことで気持ちの区切りや浄化にもなってる。

今回は、5歳の息子へ、語彙が増えたことで自分の気持ちや要望を細かくリクエストできること。納得がいくまでとことん伝えることやることの素敵さ。自分を満たして幸せにしてることが、周りを幸せにしてること。何ができてもできなくても、あなたがそのままの存在がお母さんを幸せにしていることを綴った。

5歳になった息子へ

毎年、前回までの誕生日の「手紙」を見ちゃうんだけど、3歳と4歳の息子宛の手紙の方が語彙力あったなー。息子と逆w

それだけ、押し付けがましい想いが削ぎ落とされたのかな?とも感じた。親としての以前の私からの成長や変化を振り返ることもできて、おすすめです。

ちなみに、私が死ななかったら、親元離れるときにこの「手紙」ラブレターを渡そうかなと思ったり。子どもたちがどう感じるか、何も感じなくても、それはOK。これこそ今ココの私が私を満たしている自己満足ですw


大好きだよ♡