1、物心ついたころ〜高校生時代
もともと物心ついたころから、薄っすらと、「先生になりたい。」と思ってた。
でも、親の刷り込みかメディアの見すぎか、「金持ち」にならないと成功者じゃない=認められない。と思ってた。
あと、「世の中をより良くしたい。」と思ってて、中学生くらいかな、民間でしか世の中は変わらないと考えが至ってて、いつか自分で会社はやりたいなーと、いつの間にか高校生の頃にはそっちに向いてた。
高校3年には、大学にいくのが当たり前という普通のレールに乗らないといけない気がして焦り、何がしたいかなんて何も思いうかばず、なんとなく数学と理科系が他の科目よりはマシだったと、女子の群れに馴染めず男子の多い理系を選んだ。
あと環境問題が流行って?て、工場や車の排気はCO2じゃなくキレイな酸素が出たらいいんじゃない?と便利さとクリーンさを両立させる科学者になったらカッコよくないか?なんてことは考えてて、
勉強はできる方じゃなかったけど、先生に可愛がられるキャラは立ってたので、運良く、推薦をもらい、得意の小論文と面接で大学の理系の学科になんとか入学できた。
2、大学生時代
外っ面っでは上手くいったように見せてたが、内心、自分の湧き上がるほどのやりたいことも見つからず、社会がどんなものかもわからず、なんとなくその社会と自分との穴埋めのように、「とりあえず体裁よく大学にいく」自分に情けなさと不甲斐なさを、実はとてつもなく感じてた。
大学は、そんな自分の核心に触れないように、遊び、バイトして、恋愛をして、自分の内面深くでは、また小手先でやり過ごしているように感じながらも、どう地に足をつけたらよいのかわからず、満たされない欲求を、自分ことから逃げて、外へ外へ求めていたように思う。
3、就職期
就職をする時期になり、また、社会で何をしたいかに向き合うことになる。
でも、何がしたいかわからない。就職活動をしてみても、やりたいことがない。「業種」や「職種」から検索しても、その「業種」や「職種」がわからないんだもん。
「売上が右肩あがりですよ。」とか、「安定してます。」とか、なんとなく華やかな「商社」「貿易」とか見て回ってみたけど、それよりも、無理して笑ってる(ように感じた)採用担当者や、上京して見た電車に乗ってる働く大人たちがめっちゃ疲れてしんどそうにして「お金のために働いてるのかな?」という(ように感じた)姿を面前にして、
ようやく「何のために仕事をして何のために生きていくのか?」という問いが立った。
みんな同じ黒いスーツきて、気持ち悪かった。
そんなとき、就職したいと思ったわけではないけど、たまたま、ある「ふぐ料理屋」を数十店舗経営しているの会社の単独説明会参加した。
そこで社長がしゃべったとき、内容はほとんど覚えてないけど、鳥肌が立って、気づいたら自分が泣いていた。
「一人ひとり、みんな、天から封筒をもって産まれてきて、封筒には使命が書いてある。それを開けれる人になろう。」とか、「うちの会社は、魂とからだを育む会社。魂は教育、からだは食。教育と食をやっとる会社だ。」みたいな内容だったと思う。
内容よりも、その社長のエネルギーというか存在というか、そこに惚れてしまった。説明会が終わったあと、つい、「社長が言ったことがホントかどうか、一緒にあなたのお店に食べに連れてってください。」と社長に言ってしまっていた。
食事会で、またまた内容は覚えてないけど(笑)本気でより良い未来を創造すること、真に自分を生きることを語る社長に、ますます惚れていたことは覚えている。
結局、理系の大学院卒業して、ふぐ屋に入社。人には「なんで?」と言われたけど、詳しく説明もしてないのに母は、「何事も繋がっている」と理解してくれてたのも覚えてる。
4、まとめ
…シュタイナー教育に出会うまでを書こうとしたら、実は動機が結構前にあることに気づいて、学生から書いちゃったw
私が産まれるまえに母は2回流産して、私の弟は生後2ヶ月で亡くなった5歳の頃から、「なぜ人は死ぬのに産まれてくるのか?」「(からだとは別の、「意識=私」は、どこからきて、からだがなくなったら、どこへ行くのか?」と考えると夜寝れなかったことを思い出す。
そんなこと考えてるって誰にも言えず、学校の下校中、一人で妄想で神さまと問答してたなぁww
こうやって振り返ると「魂からの教育」に惹かれて、就職したように思う。
また続くー!
沖縄に嫁に来て9年目、2児の母。沖縄でシュタイナー学校設立準備中。詳しくはこちら