夏休み

実家に帰って

母と過ごして

気合を入れなくても

積年の、言いたかった「私の気持ち」を言えた

「女の子でちょっぴり残念」

母子手帳の1ページ目に書かれたワンフレーズ

ずっと傷ついてた

ずっと傷ついてるってずっと言えなかった。

母に

何の話の流れで

その話題に触れたのかは忘れたけど

伝えたくなった

「母子手帳に書くか?

どれだけ傷ついたかわかる?」

きっと、声を荒らげただろう。

私には、気持ちをそのまま出した感じだった。

母がどう捉えたかはわからない。

「他のお母さんたちも書いてたって聞いた」

みたいなことを言われて、悲しくなった。

責めたいわけじゃない。

ただ、本人に気持ちを伝えたかった。

(母は)責められたと思ったよね。

(私は)責められたと感じて欲しかったのかもしれない。

1人でお風呂に浸かって泣いた。

ああ、こうやって、無味無臭の涙のような湯船の液体に混じらせて、「なかったこと」にしてたなーといつしかを思い出しながら。

自分に軸を戻すと、

「言えた、伝えられた。」という事実に、

自分の行動へ褒めてあげたいと思った。

自分が女で産まれてきたことを、存在そのものを否定されたと感じてきたそのワンフレーズに対して、

ずっと、怒っていて、その奥には悲しくて悲しくて。ずっと言えなかった「自分の気持ち」を伝えられたこと。

なんで今まで我慢してきたんだろう

どうして本心を伝えられなかったんだろう

もう、どうでもいいや。

私は、母の顔色を伺わなくてもいいし

母が書いたことは自分の存在には関係ない

自分の人生は母のせいでもないし

母と私は、別々の「人」だ

それらがスッと流れてきた。

今年45歳になろう女が、

ようやく、体感を持って、彼女から一歩自立できたかなと感じた日だった。

どれだけ彼女に依存してきたのかとも思う。

実家から帰る別れ時には、涙が溢れてきた。

鉄工所の嫁で、本当は男の子が欲しかった母の元に生まれた女の子は、

性別関係なく、存在そのものを愛して欲しかったし、愛して欲しいそのくらい愛してるんだよね。

尚子に見せたらいいと思って撮っておいたという録画を一緒に見て、

尚子に食べさせたかったというケーキやお餅、おはぎを一緒に食べて、

一緒に畑仕事をして、一緒にお茶を飲んで、

ただ何か特別なことをするわけでもなく一緒に過ごして、「ただ愛されている」ことも感じれた10日間の帰省でした。

実家のお庭